本渡教会の歴史
60年前の福岡教区長は深堀仙右衛門司教であった。福岡教区は福岡、熊本、佐賀の3県からなり、福岡県の北九州地区をパリ外国宣教会が、佐賀県をミラノ外国宣教会が、熊本県は聖コロンバン会が、そして福岡市や筑後地区を教区司祭やその他の宣教会や修道会がそれぞれ担当していた。
コロンバン会は地区本部を熊本市にある手取教会に置いていた。本渡に教会ができる前に天草地区ではすでに大江と崎津で司祭たちが宣教司牧にあたっており、手取教会で行われていた定期的な集まりに天草の司祭たちも出向いていた。当時はまだ天草と熊本は橋でつながっておらず、不便であった。大江や崎津から熊本まで行くのにまず本渡まで来て、本渡から船に乗って三角に行き、そこから他の交通機関を使って手取教会に行っていた。要した時間は6時間から7時間であった。
このような状況下で、地区長であったハンター神父は、熊本までの中継地点の役割をもつ教会を本渡に建てる必要性を感じていた。実際、本渡に教会が出来てからは、大江や崎津の司祭たちは熊本の行き帰りに本渡教会の司祭館で泊っていくのを常とした。
本渡に教会が建てられたもうーつの理由は、今日でもそうだが、当時も本渡は天草で一番大きな町であり、宣教の足がかりにするためであった。本渡には約3万人が住んでおり、上天草や苓北などの周辺地域を合わせると優に15万人を超える人口であった。しかし、一方で本渡とその周辺地域は戦後の日本の貧しさを生きていた時代でもあった。本渡に教会ができるとやがて、コロンバン会の司祭たちは、信者たちと一
緒に貧しい家庭の支援にも取り組むことになった。それは、経済的な面だけでなく、教育にも及んだ。
本渡教会の設立年月日は、福岡教区創立50周年記念誌に、1951年(昭和26 年)11月23日とある。11月23日は聖コロンバンの祝日で、教会創立25年周年の記念誌によると、その日は初代の主任司祭J.モラハン神父が教会を祝別した日である。アイルランド人宣教師であったJ.モラハン神父は本渡教会をアイルランドの
保護の聖人である聖パトリックに捧げた。
1952年8月に、深堀司教によって最初の教会が祝別された。現在の教会は、再び本渡の主任司祭になったモラハン神父の時代に建てられたもので、1984年(昭和59年)2月12日に平田三郎司教によって祝別された。
モラハン神父は、「本渡で初めてのミサを捧げた時、参列者は一人もいなかった」と本渡教会創立25周年記念誌に記している。しかし、次の日曜日には話をききつけた信者たち数人がミサに与った。
その頃、信者は分かっているだけで25人から30人くらいだが、その多くは教会からかなり遠いところに散在していた。60年後の今日、信者名簿には約110人の名がある。1966年にJ.モラハン神父の後継者となったP.クレイトン神父は本渡の人たちと関わるためにコーラスグループを作った。
1957年にS.ライル神父が第3代の主任司祭となった。S.ライル神父は本渡での福音宣教には地域社会や行政との協力が不可欠であると考えた。この宣教方針はその後も歴代主任司祭たちに受け継がれ、今日に至っている。
(カトリック本渡教会60年のあゆみより)
歴代主任司祭紹介
氏 名 | 期 間 |
---|---|
J.モラハン | 1951. 11-1955. 7 |
P.クレイトン | 1955. 7-1957. 3 |
S.ライル | 1957. 3-1967. 3 |
E.デイキン | 1967. 3-1975. 3 |
R.ケルソ | 1975. 3-1977. 5 |
P.フラハテイ | 1977. 5-1978. 2 |
J.モラハン | 1978. 2-1986. 5 |
F.キャ口ル | 1986. 5-1991. 11 |
F.マッケイ | 1991. 11-1994. 8 |
P.ダイアモンド | 1994. 8-1999. 1 |
川添 猛 | 1999. 1-2004. 2 |
川原 拓哉 | 2004. 2-2005. 4 |
浦 俊雄 | 2005. 4-2009. 4 |
牧山 美好 | 2009. 4-2010. 3 |
渡辺 隆義 | 2010.3-2021-3 |
浦川 務 | 2021.3-2024-3 |
竹内英次 | 2024.4~ |
協働司祭・協力司祭 | |
P.シ一ヒー | 1960-1961 |
W.力リー | 1968-1968 |
J.バ―ク | 1981-1982 |
川原 拓哉 | 1999-2004 |
井手 公平 | 2009-2010 |