大江教会


 

カトリック大江教会

 

◆主日ミサ 
毎週 土曜日 午後6時30分から

◆平日ミサ 

井手神父さまの都合で曜日や時間が変更になることがあります。今後のミサ予定を確認してからおいで下さい。

◆今後のミサ予定

○8月06日水曜日 朝7時から
○8月09日土曜日 年間第19主日 夕方6時30分から
○8月14日木曜日 夕方6時30分時から
○8月16日土曜日 年間第20主日 夕方6時30分から



 

聖年の今年、カトリック大江教会が巡礼教会に指定されました。
開館時間は午前9時から午後5時までです。教会の行事などで拝観できないことがありますので、ご了承下さい。
住所:〒863-2801 熊本県天草市天草町大江1782電話:0969-42-1111

なお、福岡教区で、大江教会以外の巡礼教会には、以下の教会が指定されています。

福岡カテドラル大名町教会(福岡)
浄水通教会(福岡)
久留米教会(福岡)
小倉教会(福岡)
佐賀教会(佐賀)
島崎教会(熊本)
八代教会(熊本)



 

2025年8月

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない。

イザヤ書2章4節 新共同訳聖書


2025年7月

霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。

ガラテヤの信徒への手紙 5章22節から23節 新共同訳聖書

2025年6月

しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
義の太陽が昇る。
その翼にはいやす力がある。
あなたたちは牛舎の子牛のように
躍り出て跳び回る。

マラキ書3章20節 新共同訳聖書 

 

2025年5月

神は全てを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。
コヘレトの言葉3章11節 新共同訳聖書

※新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」、口語訳では「伝道の書」、新改訳では「伝道者の書」と表記されています。

 

2025年4月

主がすべての災いを遠ざけてあなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように。
あなたの出で立つのも帰るのも主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。 
詩編121編7~8節 新共同訳聖書

※文語訳聖書・口語訳聖書・新改訳聖書は「詩篇」と表記し、
新共同訳聖書・聖書協会共同訳聖書では「詩編」と表記しています。

 

2025年3月

わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。 それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。

フィリピの信徒への手紙 1章3節~5節 新共同訳聖書


 

2025年6月15日日曜日

アダム荒川殉教記念ミ

世界中のどこかで、おそらく絶え間ないミサと祈りが、殉教者のために神さまの前に捧げられていることでしょう。でも、ときどき思うのです。そのことに果たして意味があるのか、と。

殉教者たちを偲び、追悼ミサを捧げ、祈りの時間を特別に設ける。その行為を否定しているわけではありません。

何十回、何百回と繰り返されてきた祈りとミサが、多少なりとも神さまに届いているのなら、なぜ、20世紀・21世紀がいちばん殉教者を出している、と、言われているのでしょうか。

ロシアとウクライナの戦争は一向に止む気配はなく、イスラエルは傍若無人に他国にミサイルを撃ち込んでいます。最近だけでも、どれだけ多くの信仰者たちがこの戦争で命を落としたことでしょう。

あまりにも不条理です。

だから神はいない!

の、でしょうか? そうではない、と信じています。

私たちが神さまを信仰するのは、どんなに理不尽な日々が続き、この世界は不条理の、漆黒の闇以外の何物でもない。と呻くときでさえ、信仰者たちは、私たちは現状に失望することなく、むしろ希望として、光として全てを神さまに委ねて信じることができるのですから、これほど幸いなことはありません。

あなたは嘘偽りなくそう断言できるのですか? と、問う声があります。

議論の余地はありません。そう告白することこそが「信仰」なのですから。

 

アダム荒川は、裸にされて横木に縛られ引き回され、三月のまだ寒い時期に朝から晩まで潮風の吹きすさぶ中に吊るされ捨て置かれました。九日間も。

そして、六十日に及ぶ幽閉。しかし、その間も彼は祈り、黙想し、苦難の時を感謝と賛美の日々へと変えていきます。彼の信仰を観て、聴いて、たくさんの人々が感動し、信仰をますます堅くした、と伝えられています。

どんな責め苦にも屈しないアダム荒川でしたが、1614年6月5日早朝、ついに斬首され、その遺体は重い岩にくくりつけられ湾外の海中深くに沈められました。

2025年の今日、私たちはアダム荒川が残した言葉に、覚悟のない私たちの日常を省み、そして誓うのです。「彼の言葉のとおりに私たちも生かして下さい」と。

彼はこう言い遺しました。

「わたしの希望は、石や土でできた教会にあるのではなく、また、時の移り変わりを免れ得ない司祭や、この空の下の何ものでもありません。ただ、神にのみ希望をかけているのです」と。

アダム荒川の、歴史の中のたくさんの殉教者たちの、そして、いまこの時代に死にゆく信仰者たちのたましいに、主の、イエス・キリストの慰めと祝福が溢れんことを祈り願って、今年も殉教記念ミサが幕を閉じました。

 

2025年4月19日

復活徹夜祭

大江教会で復活徹夜祭が行われました。

いつもの祭儀とは違って、少しばかり複雑ですので、説明については女子パウロ会のホームページから引用させて頂きます。


復活徹夜祭の典礼は、4つの部分からなりたっています。

1.光の祭儀:

復活徹夜祭の一つの主役は火であり、光です。

 

 

 

復活されたキリストのシンボルであるローソクの祝福と、光の行列があり、復活賛歌が歌われます。

一同は、聖堂の外に準備された火のそばに集まり、司祭は火を祝福します。その後、この火で司祭は復活ローソクに火をともし、「キリストの光」と歌いながら暗闇の中を進みます。

キリストこそ、「この世を照らす真の光」であり、私たちはキリストの復活によって、闇から救いだされて「光の子」とされたことをあらわします。

光は神の存在のしるし、神の力や恵みをあらわすしるしとして聖書にたびたび登場します。ですから、復活徹夜祭に光の祭儀が行われるのは、キリストの復活のしるしです。

朗読台のそばにあるローソク台に復活ローソクをたて、「声高らかに喜び歌え」と、「復活賛歌」が歌われます。そして、ことばの祭儀へと移っていきます。

 

2.ことばの祭儀:

救いの歴史をあらわす旧約聖書から7つの朗読、使徒の手紙、福音が朗読され、神の救いのことばと約束に信頼しつつ復活を待ちます。

神がこの世のはじめから、いつも私たちの救いを望んでおられたことを語る救いの歴史を旧約聖書から朗読します。
 1)創世記:世界の創造、
 2)創世記:アブラハムの犠牲、
 3)出エジプト記:イスラエルの民の紅海の渡り、
 4)イザヤ書:新しい契約と新しいエルサレム、
 5)イザヤ書:救いをもたらす水と神のご意志を果たすことば、
 6)バルク書:知恵とその輝き、
 7)エゼキエル書:新しい心

この朗読が終ると、新約聖書の中から、「主の復活にあずかる洗礼」の意味をのべる“ローマの信徒への手紙”が朗読されます。その後、「キリストは復活された」と述べる福音書が朗読されますが、今年は“マルコ福音書”が読まれます。そして、洗礼の部に移行していきます。

3.洗礼の典礼:

初代教会からこの日に洗礼が行われてきましたが、洗礼の儀で、洗礼式が行われます。洗礼を受ける人がいないときには、参加者が洗礼の約束と更新をします。

この日のためにずっと準備し、四旬節を励んできた洗礼志願者が、いよいよ教会共同体のメンバーとなる洗礼式です。洗礼は単に個人的な出来事ではなく、教会共同体へ入るわけですから、洗礼の儀では、まず洗礼志願者の紹介があります。

そして、諸聖人の取り次ぎを願う連願(れんがん)、水の祝福、信仰宣言、洗礼、堅信が行われ、信徒一同は洗礼の約束を更新します。

4.感謝の典礼:

新しく洗礼を受けた人たちとともに、感謝の典礼に入ります。ここで、主が死と復活をとおして私たちに準備された食卓に招かれます。この祝いをとおして、教会共同体はキリストの復活にあずかり、新たにされるのです。


 

 

2024年12月24日 火曜日

 

主の降誕祭(クリスマス)ミサ

 

 

 

 

2024年12月1日 日曜日

イルミネーションの点灯が始まりました。

 

2024年11月24日 日曜日

午前8時から、教会クリスマスイルミネーションの飾り付けを行いました。作業に参加してくださった皆様、ありがとうございました。

 

 

2024年11月10日

根引きの子部屋追悼ミサが大江教会で捧げられました。このミサは、天気が良ければ根引き山の頂上で捧げられるのですが、あいにくの雨で、大江教会内でのミサとなりました。司式は竹内英次主任司祭。崎津・大江・本渡のカトリック教会から数名ずつが参列いたしました。

 

以下は、根引き山が整備された頃に、このサイトの管理人がある新聞に寄稿したエッセイです。お読み頂ければ「根引きの子部屋」について多少なりともご理解いただけると思います。 ただ、なにぶん古いエッセイです。文中に、今現在にそぐわない表現が多々出現します。ご了承下さい。ここで、訂正しておきます。

※隠れキリシタンと潜伏キリシタンが一緒くたになっている。

潜伏キリシタンは、1614年に江戸幕府が「キリスト教禁教令」を全国に発布してからも隠れてキリスト教を信仰した人々のこと。

隠れキリシタンは、1873年に禁教の高札が撤廃されキリスト教が解禁されるようになったあとも、カトリック教会に戻ることなく、独自の信仰を続けたひとたち。一種のアニミズムである。

※荒れた根引きの子部屋跡を整備し始めたのは、ダイヤモンド神父である。写真左のマリア像はダイヤモンド神父が安置したものである。

 

※平成の市町村合併によって市や町の名前が変わっている。本渡市→天草市。河浦町→天草市河浦町。天草町→天草市天草町。

※登山ルートが災害のために工事中で通行出来なくなっている。迂回ルートは軽自動車がかろうじて通れる細い林道である。現地をよく知るひとに案内してもらわなければ分かりにくい。

※エッセイに登場する神父さま方は皆故人である。

以上のことを踏まえ、お読みください。

 

 根引き山のアリア

一週間に二度、数時間もかけて細く険しい山道を登る男の姿があった。夏は汗にまみれ、蚊や虻や蜂、まむしに襲われながら。冬は雪が舞い、凍てつくような木枯らしの中を、彼はただ黙々と山に登った。神が、あの子供たちを養えとおっしゃたのだ。男の思いの中にあったのは、自らが仕える神の心にひたすらかなうようにということだけだった。

くしくも、隠れキリシタン歴代水方(指導者)の中でも、まれにみる人格者とたたえられた大崎龍造の手にあった山。男の祈りと足取りにも自然と力が入る。だが、見栄や虚栄やてらいなどはどこにもなく、その労苦への力を男は一切惜しまなかった。

男の名は、天草西海岸に赴任したフランス人フェリエ神父。明治16年のことである。

明治の初期といえば、まだ至る所に隠れキリシタンの名残があり、遠い天草・島原の乱を引きずるようにしてやせた土地を耕していた時代である。貧しさゆえに捨て子も多く、また諸々の理由で孤児となった子供たちは村々にあふれていた。病み衰え幼いまま死んでいく子供たちや、世を恨み、悪に走る少年たち、彼らの姿は神の救いからはあまりにも遠いものであった。 フェリエ神父は神に祈った。「主よどうかこの子供たちを養いたまえ」。しかし神は黙していた。神父は何度も神に祈り、この地域の窮状を訴えた。そうしたある日、神は神父に応えて言った。「おまえが養いなさい」と。託児所孤児院「根引きの子部屋」の起こりである。

この経緯の細かい部分は私の想像であるが、実際の施設運営の日々が神父にとって闘いの連続だったことだけは間違いないようである。今でさえとんでもない山奥だと感じるところに神父は井戸を掘り、小屋を建て、孤児たちを集め、教育と医療を施し、養子斡旋から子供たちの就職活動まで奔走した。また、障害を持った子供たちに対しては、神が彼らの命を天に召されるまで辛抱強く世話をした 。

明治の児童福祉は、堕胎や圧殺、捨て子などがあまりにも多いことからやむなく生起してきたものであった。その中でも、もっとも有名な施設が、明治26年に石井十次が設立した岡山孤児院である。彼は、人格の自発的開発による尊厳性を重んじ「自然教育、人格教育、農業教育と労作教育」を施設運営の柱においた。

そのさらに前に、フェリエ神父はすでに同じ処遇を自らの孤児院で実践していた。 特徴的なことは、三歳までの育児については有償で麓の民家に委託し、養子の縁なき者のみを山の子部屋へと移したことであった。また、長崎の女部屋(修道院)から児童福祉に精通した修道女を呼び寄せ、責任者として任命し、いまでいう専任の保育士(保母)を常駐させてもいた。 その後、施設運営は後任のガルニエ神父に引き継がれ、明治40年まで続けられた。国の児童・障害児施策が多少なりとも充実してきたことや、根引きの子供たちがあらかた巣立っていったことも閉鎖の理由には違いないが、大きな理由は、やはりその運営が困難を極めたことにほかならない。

当時を偲ぶものとしては、古い十字架の墓碑と井戸だけしか残っていない。その一帯を、現在の崎津 ・大江教会の川添神父が中心となって整備することになった。作業には両教会の信徒さん方や、施設ゆかりの人たちも参加し、イエスの十字架への道行きが14カ所の石碑に刻まれ、頂上には木の十字架が安置された。

当時の小屋があったその真上に、「みみずの子いのちのほかになにもなし」という旬碑が建てられている。作者は俳号岳石。川添神父本人である。氏は,俳人加藤楸邨の愛弟子でもあり、その当時の子供たちの心境をこの旬に込めたのだという。旬碑の横には、天草町に保存されていた当持の施設の木材から梁2本と囲炉裏の囲いを譲りうけ、小さな休憩所も建てられた。これらはすべて川添氏が寄付を募り奔走した結果によるものであるが、なによりも、「私は、根引き出身です」、あるいは「根引き出身者の子孫です」と胸を張って堂々と宣言できる誇り高いひとたちの祈り心のたまもの ですと川添氏はいう。

天草は、その中でも特に河浦町は、「南蛮キリシタン文化」の発祥の地である。ところが、「根引きの子部屋」のような地味な施設跡は、地元の人でさえ忘れているというのが現状である。ぜひ一度、現地に登ってみていただけないだろうか。神の導きと祝福のアリアが時代を超えて響き渡るような心持ちになれること請け合いである。

現在の河浦町今富矢筈岳。通称根引き山。ルートは、天草町椿公園入り口から本渡市に抜ける林道を登るのが一番わかりやすいかと思う。 小規模だが日本でも希有な福祉と教育を実践した施設が、あの岡山孤児院よりも前に、へんぴな天草の、そのまた奥深い山の中に存在していた事実を、ひとりでも多くの人に知っていただければ幸いである。

 

八代殉教祭記念ミサ

11月3日午後2時から、八代キリシタン殉教者列福記念公園で記念ミサが捧げられました。福岡教区のアベイヤ司教さまをはじめ、たくさんの神父さまや信徒たちが九州各地から参列しました。天草からは、竹内神父さまと四人の信徒が参列しました。

1603年から1609年にかけて、現在の熊本県八代で激しいキリシタン迫害がなされ、11名が殉教しました。その中には斬首と磔刑になった6歳と8歳の子供も含まれています。

アペイヤ司教さまと八代教会オカロール主任司祭のお言葉に加え、地元信徒さんの殉教者紹介によって、人間の愚かさと哀しさ、他者を愛することの難しさ、それゆえに主イエスの尊い十字架の贖いと救いを、参列した一同、深慮させられ祈らされました。

世界が平和でありますように。

 

 

 


 

 

 

カトリック大江教会


主日ミサ 
毎週 土曜日 午後6時30分から

◆平日ミサ

井手神父さまの都合で曜日や時間が変更になることがあります。今後のミサ予定を確認してからおいで下さい。

◆今後のミサ予定

○8月06日水曜日 朝7時から
○8月09日土曜日 年間第19主日 夕方6時30分から
○8月14日木曜日 夕方6時30分時から○8月16日土曜日 年間第20主日 夕方6時30分から

 

聖年の今年、カトリック大江教会が巡礼教会に指定されました。開館時間は午前9時から午後5時までです。教会の行事などで拝観できないことがありますので、ご了承下さい。

住所:〒863-2801 熊本県天草市天草町大江1782電話:0969-42-1111

なお、福岡教区で、大江教会以外の巡礼教会には、以下の教会が指定されています。

福岡カテドラル大名町教会(福岡)・浄水通教会(福岡)・久留米教会(福岡)・小倉教会(福岡)・佐賀教会(佐賀)・島崎教会(熊本)・八代教会(熊本)

 



2025年8月

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。

イザヤ書2章4節 新共同訳聖書

2025年7月

霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。

ガラテヤの信徒への手紙 5章22節から23節 新共同訳聖書

2025年6月

しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。

マラキ書3章20節 新共同訳聖書


2025年5月

神は全てを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。
コヘレトの言葉3章11節 新共同訳聖書

※新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」、口語訳では「伝道の書」、新改訳では「伝道者の書」と表記されています。


2025年4月

主がすべての災いを遠ざけて
あなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも
主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。 
詩編121編7~8節 新共同訳聖書


※文語訳聖書・口語訳聖書・新改訳聖書は「詩篇」と表記し、新共同訳聖書・聖書協会共同訳聖書では「詩編」と表記しています。

 

2025年3月

わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。

それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。
フィリピの信徒への手紙 1章3節~5節
新共同訳聖書



 

2025年6月15日日曜日

アダム荒川殉教記念ミサ

世界中のどこかで、おそらく絶え間ないミサと祈りが、殉教者のために神さまの前に捧げられていることでしょう。でも、ときどき思うのです。そのことに果たして意味があるのか、と。

殉教者たちを偲び、追悼ミサを捧げ、祈りの時間を特別に設ける。その行為を否定しているわけではありません。

何十回、何百回と繰り返されてきた祈りとミサが、多少なりとも神さまに届いているのなら、なぜ、20世紀・21世紀がいちばん殉教者を出している、と、言われているのでしょうか。

ロシアとウクライナの戦争は一向に止む気配はなく、イスラエルは傍若無人に他国にミサイルを撃ち込んでいます。最近だけでも、どれだけ多くの信仰者たちがこの戦争で命を落としたことでしょう。

あまりにも不条理です。

だから神はいない!

の、でしょうか? そうではない、と信じています。

私たちが神さまを信仰するのは、どんなに理不尽な日々が続き、この世界は不条理の、漆黒の闇以外の何物でもない。と呻くときでさえ、信仰者たちは、私たちは現状に失望することなく、むしろ希望として、光として全てを神さまに委ねて信じることができるのですから、これほど幸いなことはありません。

あなたは嘘偽りなくそう断言できるのですか? と、問う声があります。

議論の余地はありません。そう告白することこそが「信仰」なのですから。

 

アダム荒川は、裸にされて横木に縛られ引き回され、三月のまだ寒い時期に朝から晩まで潮風の吹きすさぶ中に吊るされ捨て置かれました。九日間も。

そして、六十日に及ぶ幽閉。しかし、その間も彼は祈り、黙想し、苦難の時を感謝と賛美の日々へと変えていきます。彼の信仰を観て、聴いて、たくさんの人々が感動し、信仰をますます堅くした、と伝えられています。

どんな責め苦にも屈しないアダム荒川でしたが、1614年6月5日早朝、ついに斬首され、その遺体は重い岩にくくりつけられ湾外の海中深くに沈められました。

2025年の今日、私たちはアダム荒川が残した言葉に、覚悟のない私たちの日常を省み、そして誓うのです。「彼の言葉のとおりに私たちも生かして下さい」と。

彼はこう言い遺しました。

「わたしの希望は、石や土でできた教会にあるのではなく、また、時の移り変わりを免れ得ない司祭や、この空の下の何ものでもありません。ただ、神にのみ希望をかけているのです」と。

アダム荒川の、歴史の中のたくさんの殉教者たちの、そして、いまこの時代に死にゆく信仰者たちのたましいに、主の、イエス・キリストの慰めと祝福が溢れんことを祈り願って、今年も殉教記念ミサが幕を閉じました。

2025年4月19日

復活徹夜祭

大江教会で復活徹夜祭が行われました。いつもの祭儀とは違って、少しばかり複雑ですので、説明については女子パウロ会のホームページから引用させて頂きます。

 

復活徹夜祭の典礼は、4つの部分からなりたっています。

1.光の祭儀:

復活徹夜祭の一つの主役は火であり、光です。

 

復活されたキリストのシンボルであるローソクの祝福と、光の行列があり、復活賛歌が歌われます。一同は、聖堂の外に準備された火のそばに集まり、司祭は火を祝福します。

その後、この火で司祭は復活ローソクに火をともし、「キリストの光」と歌いながら暗闇の中を進みます。

キリストこそ、「この世を照らす真の光」であり、私たちはキリストの復活によって、闇から救いだされて「光の子」とされたことをあらわします。光は神の存在のしるし、神の力や恵みをあらわすしるしとして聖書にたびたび登場します。ですから、復活徹夜祭に光の祭儀が行われるのは、キリストの復活のしるしです。

 

2.ことばの祭儀:

救いの歴史をあらわす旧約聖書から7つの朗読、使徒の手紙、福音が朗読され、神の救いのことばと約束に信頼しつつ復活を待ちます。

神がこの世のはじめから、いつも私たちの救いを望んでおられたことを語る救いの歴史を旧約聖書から朗読します。
 1)創世記:世界の創造、
 2)創世記:アブラハムの犠牲、
 3)出エジプト記:イスラエルの民の紅海の渡り、
 4)イザヤ書:新しい契約と新しいエルサレム、
 5)イザヤ書:救いをもたらす水と神のご意志を果たすことば、
 6)バルク書:知恵とその輝き、
 7)エゼキエル書:新しい心

この朗読が終ると、新約聖書の中から、「主の復活にあずかる洗礼」の意味をのべる“ローマの信徒への手紙”が朗読されます。その後、「キリストは復活された」と述べる福音書が朗読されますが、今年は“マルコ福音書”が読まれます。そして、洗礼の部に移行していきます。

3.洗礼の典礼:

初代教会からこの日に洗礼が行われてきましたが、洗礼の儀で、洗礼式が行われます。洗礼を受ける人がいないときには、参加者が洗礼の約束と更新をします。

この日のためにずっと準備し、四旬節を励んできた洗礼志願者が、いよいよ教会共同体のメンバーとなる洗礼式です。洗礼は単に個人的な出来事ではなく、教会共同体へ入るわけですから、洗礼の儀では、まず洗礼志願者の紹介があります。

そして、諸聖人の取り次ぎを願う連願(れんがん)、水の祝福、信仰宣言、洗礼、堅信が行われ、信徒一同は洗礼の約束を更新します。

4.感謝の典礼:

新しく洗礼を受けた人たちとともに、感謝の典礼に入ります。ここで、主が死と復活をとおして私たちに準備された食卓に招かれます。この祝いをとおして、教会共同体はキリストの復活にあずかり、新たにされるのです。

 

2024年12月24日 火曜日

主の降誕祭(クリスマス)ミサ

 

 

2024年12月1日 日曜日

イルミネーションの点灯が始まりました。

 

2024年11月24日 日曜日

午前8時から、教会イルミネーションの飾り付けを行いました。作業に参加してくださった皆様、ありがとうございました。

 

2024年11月10日

根引きの子部屋追悼ミサが大江教会で捧げられました。このミサは、天気が良ければ根引き山の頂上で捧げられるのですが、あいにくの雨で、大江教会内でのミサとなりました。司式は竹内英次主任司祭。崎津・大江・本渡のカトリック教会から数名ずつが参列いたしました。

以下は、根引き山が整備された頃に、このサイトの管理人がある新聞に寄稿したエッセイです。お読み頂ければ「根引きの子部屋」について多少なりともご理解いただけると思います。

ただ、なにぶん古いエッセイです。文中に、今現在にそぐわない表現が多々出現します。ご了承下さい。

ここで、訂正しておきます。

※隠れキリシタンと潜伏キリシタンが一緒くたになっている。

潜伏キリシタンは、1614年に江戸幕府が「キリスト教禁教令」を全国に発布してからも隠れてキリスト教を信仰した人々のこと。

隠れキリシタンは、1873年に禁教の高札が撤廃されキリスト教が解禁されるようになったあとも、カトリック教会に戻ることなく、独自の信仰を続けたひとたち。一種のアニミズムである。

※荒れた根引きの子部屋跡を整備し始めたのは、ダイヤモンド神父である。写真左のマリア像はダイヤモンド神父が安置したものである。

 

※平成の市町村合併によって市や町の名前が変わっている。本渡市→天草市。河浦町→天草市河浦町。天草町→天草市天草町。

※登山ルートが災害のために工事中で通行出来なくなっている。迂回ルートは軽自動車がかろうじて通れる細い林道である。現地をよく知るひとに案内してもらわなければ分かりにくい。

※エッセイに登場する神父さま方は皆故人である。

以上のことを踏まえ、お読みください。

 根引き山のアリア

一週間に二度、数時間もかけて細く険しい山道を登る男の姿があった。夏は汗にまみれ、蚊や虻や蜂、まむしに襲われながら。冬は雪が舞い、凍てつくような木枯らしの中を、彼はただ黙々と山に登った。神が、あの子供たちを養えとおっしゃたのだ。男の思いの中にあったのは、自らが仕える神の心にひたすらかなうようにということだけだった。

くしくも、隠れキリシタン歴代水方(指導者)の中でも、まれにみる人格者とたたえられた大崎龍造の手にあった山。男の祈りと足取りにも自然と力が入る。だが、見栄や虚栄やてらいなどはどこにもなく、その労苦への力を男は一切惜しまなかった。

男の名は、天草西海岸に赴任したフランス人フェリエ神父。明治16年のことである。

明治の初期といえば、まだ至る所に隠れキリシタンの名残があり、遠い天草・島原の乱を引きずるようにしてやせた土地を耕していた時代である。貧しさゆえに捨て子も多く、また諸々の理由で孤児となった子供たちは村々にあふれていた。病み衰え幼いまま死んでいく子供たちや、世を恨み、悪に走る少年たち、彼らの姿は神の救いからはあまりにも遠いものであった。

フェリエ神父は神に祈った。「主よどうかこの子供たちを養いたまえ」。しかし神は黙していた。神父は何度も神に祈り、この地域の窮状を訴えた。そうしたある日、神は神父に応えて言った。「おまえが養いなさい」と。託児所孤児院「根引きの子部屋」の起こりである。

この経緯の細かい部分は私の想像であるが、実際の施設運営の日々が神父にとって闘いの連続だったことだけは間違いないようである。

今でさえとんでもない山奥だと感じるところに神父は井戸を掘り、小屋を建て、孤児たちを集め、教育と医療を施し、養子斡旋から子供たちの就職活動まで奔走した。また、障害を持った子供たちに対しては、神が彼らの命を天に召されるまで辛抱強く世話をした。

明治の児童福祉は、堕胎や圧殺、捨て子などがあまりにも多いことからやむなく生起してきたものであった。その中でも、もっとも有名な施設が、明治26年に石井十次が設立した岡山孤児院である。彼は、人格の自発的開発による尊厳性を重んじ「自然教育、人格教育、農業教育と労作教育」を施設運営の柱においた。

そのさらに前に、フェリエ神父はすでに同じ処遇を自らの孤児院で実践していた。 特徴的なことは、三歳までの育児については有償で麓の民家に委託し、養子の縁なき者のみを山の子部屋へと移したことであった。また、長崎の女部屋(修道院)から児童福祉に精通した修道女を呼び寄せ、責任者として任命し、いまでいう専任の保育士(保母)を常駐させてもいた。

その後、施設運営は後任のガルニエ神父に引き継がれ、明治40年まで続けられた。国の児童・障害児施策が多少なりとも充実してきたことや、根引きの子供たちがあらかた巣立っていったことも閉鎖の理由には違いないが、大きな理由は、やはりその運営が困難を極めたことにほかならない。

当時を偲ぶものとしては、古い十字架の墓碑と井戸だけしか残っていない。その一帯を、現在の崎津 ・大江教会の川添神父が中心となって整備することになった。作業には両教会の信徒さん方や、施設ゆかりの人たちも参加し、イエスの十字架への道行きが14カ所の石碑に刻まれ、頂上には木の十字架が安置された。

当時の小屋があったその真上に、「みみずの子いのちのほかになにもなし」という旬碑が建てられている。作者は俳号岳石。川添神父本人である。氏は,俳人加藤楸邨の愛弟子でもあり、その当時の子供たちの心境をこの旬に込めたのだという。

旬碑の横には、天草町に保存されていた当持の施設の木材から梁2本と囲炉裏の囲いを譲りうけ、小さな休憩所も建てられた。これらはすべて川添氏が寄付を募り奔走した結果によるものであるが、なによりも、「私は、根引き出身です」、あるいは「根引き出身者の子孫です」と胸を張って堂々と宣言できる誇り高いひとたちの祈り心のたまもの ですと川添氏はいう。

天草は、その中でも特に河浦町は、「南蛮キリシタン文化」の発祥の地である。ところが、「根引きの子部屋」のような地味な施設跡は、地元の人でさえ忘れているというのが現状である。ぜひ一度、現地に登ってみていただけないだろうか。神の導きと祝福のアリアが時代を超えて響き渡るような心持ちになれること請け合いである。

現在の河浦町今富矢筈岳。通称根引き山。ルートは、天草町椿公園入り口から本渡市に抜ける林道を登るのが一番わかりやすいかと思う。 小規模だが日本でも希有な福祉と教育を実践した施設が、あの岡山孤児院よりも前に、へんぴな天草の、そのまた奥深い山の中に存在していた事実を、ひとりでも多くの人に知っていただければ幸いである。

 

八代殉教祭記念ミサ

11月3日午後2時から、八代キリシタン殉教者列福記念公園で記念ミサが捧げられました。福岡教区のアベイヤ司教さまをはじめ、たくさんの神父さまや信徒たちが九州各地から参列しました。天草からは、竹内神父さまと四人の信徒が参列しました。

1603年から1609年にかけて、現在の熊本県八代で激しいキリシタン迫害がなされ、11名が殉教しました。その中には斬首と磔刑になった6歳と8歳の子供も含まれています。

アペイヤ司教さまと八代教会オカロール主任司祭のお言葉に加え、地元信徒さんの殉教者紹介によって、人間の愚かさと哀しさ、他者を愛することの難しさ、それゆえに主イエスの尊い十字架の贖いと救いを、参列した一同、深慮させられ祈らされました。

世界が平和でありますように。

世界が平和でありますように。


 

 


 

 

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