
フランシスコ・ザビエルの宣教以来、日本各地でキリスト教が伝えられることになりましたが、この天草の地においても、アルメイダをはじめ多くの宣教師、司祭たちによってキリスト教が伝えられることとなりました。
一時は、司祭・宣教師の養成の場としての「コレジオ」が作られ、日本各地からキリストの教えを学び、それを伝えるとの使命に燃えた多くの若者が集まっていました。
迫害と共に、それらの学びの場はなくなっていきますが、この地に蒔かれた「信仰の種」は多くの実を結び、劣悪な環境にあってもキリストへの信仰が心の支えとしてこの地に住むひとびとに生きる力と希望を与えることとなりました。
天草の地における迫害を乗り越えて、信仰を堅く守った先人たちの生き方を、今を生きる私たちも見倣いながら後世に伝えることを目指しています。
このページをご覧になる皆さんも、同じ信仰をそれぞれの場で見いだし、苦しみの中にも私たちを導かれる神様の愛を少しでも感じることが出来ればと願います。
そして、もしよろしければ、この地を訪れ、自然の中に生きた先人たちの心と信仰の息づかいを感じて下さればと思います。
主任司祭 竹内英次


◆主日ミサ
毎週日曜日 午前10時から
◆平日ミサ
毎週月曜日・火曜日 午前7時から
(変更になる場合があります。事前にお問い合わせ下さい)
ミサには、聖書も聖歌も持参する必要はありません。聖書は朗読者の声に耳を傾けて下さい。
聖歌はベンチの棚に置いてあります。ちなみに、新しいミサ曲は「A」バージョンを歌っています。
はじめての方もご自由にミサに与って下さい。現在、韓国・中国・ベトナム・フィリピン・インドネシア・カナダ・イギリスなど、日本国籍以外の方々もミサに与っておられます。
近くの信徒に「はじめてです」とお伝え下されば、ご案内いたします。
毎週、聖体拝領のときにベトナムの女性信徒さんたちがベトナム語の聖歌を歌ってくださいます。
また、第二週めの第二朗読はベトナム語で読まれます。
献金の強要などはありません。ご安心下さい。
分からないことがありましたら「はじめての方へ」のページをご覧下さい。
◆竹内神父さまは、4月末をもって長崎県平戸の生月に移動になります。
後任は、井手公平神父さまです。
◆聖木曜日ミサ 4月17日 夕方6時30分
◆聖金曜日ミサ 4月18日 夕方6時30分
◆復活祭ミサ 4月20日午前10時
◆花岡山殉教祭 4月27日
日曜日 午後2時
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※他のコラムは別ページに掲載しています。
◆神に出会うとき
傲慢不遜で他人を見下し、それでいて死ぬことばかりを考えていた私は、ある日のミサに出席し、はじめから終わりまでポロポロと涙を流していたことがありました。とても不思議な感覚でした。
イエス・キリストに出会った、と確信を持って言えるわけではありませんが、何度か同じような経験をして、私は、「こんな私でも赦されている。生きていていいのかもしれない」と思うようになりました。多少なりとも「ましな人間」になれたような気がしますし、ほんの少しだけ、自分にも、他人にも優しくなれたかも知れないと思うのです。
もちろん、それ以降の日々も「汚れた自我との闘い」に違いはありませんが。
フランスの哲学者で思想家のシモーヌ・ヴェイユも似たような体験を語っています。
サンタ・マリア・デリ・アンジェリの12世紀ロマネスク風の小礼拝堂にヴェイユは佇んでいました。そこは、聖フランシスコがしばしば祈りを捧げたところでした。
このとき、目に見えない誰かが、何かが、彼女の頭を押さえつけて脆かせました。 ひとが頭を垂れるときは、どうあがいても己の力の及ばない存在を知ったときです。それが人間以外の存在であればなおさら、ひとは悔い砕かれたたましいを以て謙虚にならざるをえないでしょう。心からの謙遜は、ひとに創造的な孤独をもたらします。そして、ひとに希望を待ち望む忍耐と注意力を身につけさせてくれます。
こうしてヴェイユは、「神はこのような人間にさえもご自身を拒否したもうことはない」という、霊とたましいのひとに変えられていくことになりました。
主よ、あなたのために、主の家族のために、見知らぬ誰かのために、私自身のために、与えられた日々と時間を謙虚に、そして希望を持って、もう少しだけ生かしてください。 ヴェイユのように。そう祈る日々を、私はいま過ごしています。
◆母と子の苦悩
東京墨田区の社会福祉法人が、25年の3月31日から「赤ちゃんポスト」(正式名称ベビーバスケット)の運用を開始した、とのニュースが流れました。私はつい、「またか」とため息をついてしまいました。
またか、とはこの「俗称」についてです。熊本市の慈恵病院が最初に取り組みを始めたとき、賛否両論含めてたいへんな騒動になりました。その原因のひとつになったのが「赤ちゃんポスト」という呼称でした。
「赤ちゃんポスト」の由来は、ドイツ語の「ポストの蓋」、日本各地に存在していた「不要犬ポスト」からの連想ではないか、などと言われています(Wikipedia)。が、定かではありません。
NHK以外の熊本県内民放メディアは「赤ちゃんポスト」を使いませんでした。正式な「こうのとりのゆりかご」という名前があったからです。私はNHK本局とNHK熊本放送局に「赤ちゃんポストではその目的も意義も伝わりません。なにより、多くの人に誤解を与えてしまいます。ですから、正式名称を使って下さい」とお願いしました。しかし、どちらの返事も「『赤ちゃんポスト』の方が認知されているから変更予定はありません」でした。
「認知させたのはあなた方NHKが連呼し続けたからです。NHKが正式名称を使えば、それが世間の認識になります」と食い下がっても「そのつもりはありません」と譲りません。NHKはなぜそこまで頑なに拒否したのでしょうか。考えられる理由はいくつかありますが、あくまでも憶測になりますのでここには書きません。
イザヤ書49章15節から16節の「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようともわたしがあなたを忘れることは決してない」(新共同訳聖書)という御言葉を思い浮かべたひとも多いかもしれません。
この御言葉が書かれた当時も、母親が我が子を捨てたり殺したりネグレクトしたりすることがあったのでしょう。子供たちは奴隷として売買の対象になっていたかもしれません。
いつの時代も、女性はたいへんです。「こうのとりのゆりかご」や「ベビーバスケット」に預ける母親にも文字通り身を切るほどの苦しみがあったはずです。「我が子を捨てるとはけしからん!」。そんな批判ではなにも解決できません。また、「預けられる女性たちはまだまし。虐待して殺してしまう母親たちに比べれば」。このような批判も正しいとは言えないでしょう。他人は彼女たちの苦悩や病を知らないのです。
綺麗事だと言われても、理想論だとあしらわれても、それでも、母と子の苦しみを神さまが癒やしてくださり、子供たちが「愛されるために生まれた」と思えるような社会になっていくように、どうか祈って下さい。私も祈っています。
◆結婚式
ある日、母と叔母はとある婚礼に招かれたのでありました。
ふたりは披露宴が佳境にさしかかった頃、化粧室に行くために連れ立って席を離れました。しばらくして戻ってみると、宴はさらに盛り上がっており、ほとんどの人が席を離れ、新郎新婦や旧知の人たちと入り乱れて大騒ぎをしています。
そんな光景を横目で見ながら、ご祝儀分は取り戻そうと、母と叔母は目の前の料理をたらふくおなかの中に収めて行くのでありました。
しばらくして、後ろから肩をたたくふたりのひと。
「あのぉ・・・そこは私たちの席なんですけどぉ・・・」
「えっ! えぇ~っ!、席、間違えたんだ。すみません。ごめんなさい」と席次表を確認する二人。そして新郎新婦と来賓たちの顔ぶれを見て・・・。だ、誰ひとり知らない。なんで? 母と叔母は隣の、全く別の披露宴会場に紛れ込んで、他人の料理を、それもおなかいっぱいに食べていたのでありました。
ドジなんだからねぇ(笑)。バカだねぇ(爆笑)。と私はふたりのことを散々からかい、そして笑ったのでありました。
ほどなくして、とある知己から私にも披露宴の招待状が届きました。
当日、電車が遅れて、私が着いたときには招待客たちはすでに会場の中に入っておりました。
慌てて記帳し、席次表を貰い、会場に入りました。ところが、私の席には知らない人がすでに座っているのです。
「あのぉ・・・そこ、私の席なんですけどぉ・・・」
「はぁ? ここは私の席ですよ!」
「いや、だけど・・・」
周囲が静かになって、スタッフが数人飛んできて、私の席次表を確認し・・・「お客様の会場はふたつ隣になります」
「失礼しましたぁ!」
猛ダッシュで会場から脱出する私。会場は爆笑と拍手。
母と叔母を笑った報いか? うぅぅ、恥ずかしいよぉ。
自分の会場にたどり着き、席を見つけ、やっと座って一息ついて、周囲の同僚たちに事の子細を話すと「おまえはドジだからなぁ」と、また笑われました。
あの頃は、披露宴も盛大にやっていたんですねぇ。何事も質素に済ましてしまう現在とは隔世の感がありますよ。
聖書にも結婚式の話しが出てきます。カナの婚礼は有名ですが、私が興味深い話しだな、と思うのは、マタイによる福音書22章1節~14節のたとえ話しです。
王様が王子のために婚礼の祝宴を催すのですが、招待したひとたちがああだこうだと理由をつけてことごとく欠席してしまいます。それどころか、案内に行った王様の使いたちを捕まえて暴行し、果ては殺してしまうという暴挙に出てしまいます。
怒った王様は軍隊を出動させ、無礼な振る舞いをした輩たちを一掃してしまうのです。
婚礼会場に空きができたために、王様はだれもかれも、通りを歩いているひとたちさえも、善人も悪人も全て宴に招き入れました。ところが、その中にひとりだけ礼服を着ていないひとが混じっていたのです。王様は彼を見とがめ、会場の外に放り出してしまいました。
礼服は王様側から招待客に支給されるのが慣例で、招待されたひとたちはその服に着替えて宴に出席するのがしきたり、それが当時の文化でした。その服を拒否し、彼は汚れた服のまま強引に婚礼の席に着こうとした。それは単に礼儀知らずでは済まされない、重大な背信行為だったのです。
洗礼を受け、教会に通っている私は、少なくとも招待を拒否して一掃されたグループには入っていない。でも、果たして、礼服を着ないで婚礼会場に入り、王様の不興を買ってしまったあのひとではない、と言い切れるのでしょうか・・・
婚礼の会場は天の御国であり、王子はイエスさま、王様は天の父なる神さまの比喩。それは誰もが理解しています。ならば、この礼服って、何を意味するのでしょうね。多分ですけど、それはきっと、神さまを敬い、へりくだって、救いに導いて下さったことをこころから感謝する素直なこころのこと、かもしれませんね。
私たちは天の御国に招かれた招待客、これはもう、ほんとに奇跡としか言い様がありません。罪に汚れたこんな私でさえ招かれたのですから、うだうだ言ってないで与えられた義の衣を喜んで頂戴致しましょう。そして、笑顔で礼服を羽織り、楽しんで祝宴に与りましょう。
でも、私の母や私のように、くれぐれも別の会場に迷い込まないように気をつけて下さいね。